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ひどく個人的な 書きたいことをとりとめもなく書いています。


by noname77777
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さらによく考えてみると

今まで放任してきた僕にも責任はあるわけで・・・・
# by noname77777 | 2005-04-23 12:16 | 日記・雑感

脱会への道程

少し熱くなりすぎてた(´・ω・`)
冷静に考えてみると、母が全て悪いわけじゃないんだよね。母にだって宗教に頼らなければならない理由があったはずで、そこを正さないうちに無理やり辞めさせても母の人格を破壊するだけかなと。一人しかいない自分の母だし、もう少し冷静に対処してやることにした。偏った選択を迫るんじゃなく、ね。


母の入信の原因は父にあったと思う。僕や兄弟は小・中学生だったから原因にはなりえないからだ。もちろん僕ら子供が母を支えてあげられれば一番よかったわけだが、過去を後悔してもしようがない。

とにかく、原因の大部分は父にあった。当時の父は酒癖が悪くいつも僕ら家族を困らせていた。その内容は一々書かないが、大酒を飲んでは僕らを不安にさせるのだった。

それだけではない。
父は昔気質な人で亭主関白でもある。別に昔気質でも亭主関白でも一向に構わないが、そうであるならば、しっかり舵取りをして家族を引っ張っていかねばならないと思う。だが、うちの父の場合、昔気質で亭主関白であるにも関わらず、嫌なことは全て母になすりつけるし、問題が起こると全て母のせい。理不尽にわめき散らすばかりで、建設的な話し合いなど一切しようとしない。つうか、できない。このように、今まで30年以上に渡って母をないがしろにし続けて、自分は好き放題やってきた人である。もちろん母の入信前からずっとだ。

父のこのような部分に目をつむって母だけ責めるわけにはいかないと思った。

だから、これから父とも少しずつその辺のことを話していかなければならない。そして、おそらく僕自身も改めなければいけない部分が山のようにあるんだと思う。そこが直らない限り、母を辞めさせても、長い目でみれば無意味なんだからしょうがない。

てことで母の宗教狂いはまだまだ続きそうなのである。

ただ、今回ひとつ進展があった。
統一協会被害者家族の会」ってとこに相談をはじめた。僕が。
話聞いてもらうだけでも肩の荷が軽くなって、前向きになれる。
もっとはやく相談すべきだった。
# by noname77777 | 2005-04-20 19:36 | 日記・雑感

最後通告

さきほど母に僕の決心を伝えた。これは今までずっと考えてきたことだ。本当は家族ぐるみになって方針を決めるべきところであるが、父は面倒くさいことには首を突っ込みたくない性分だし、兄は母を説得しようなんて思っていない。僕は僕として動く他ないのである。ということで、以下の質問を投げかけておいた。

両方は不可能であるとの条件で、宗教と僕とどっちを取るのか。

もし宗教をとるのならば、僕は母とは家族の縁を切る。
もし僕をとるのなら、宗教はやめてもらう。その上で母が立ち直れるよう微力ながら支えるつもりだ。

僕は母の選択を尊重しようと思う。もし宗教をとっても僕は母を責めないし危害も加えない。ただ、本当に縁をきる。何が起ころうと放置する。ようするに、アカの他人とみなすし、扱いもアカの他人同様にするつもりだ。

母は今、笑いながら家を出た。おそらく教会にでも行くのだろう。いつ答えを教えてくれるのか・・・。まさかこれっきりってことはないはずだが。

本物の神ってのがもしいるとするなら、そいつは本当に嫌なヤツだ。僕がまだ小さかったころの家族思いの母を返して欲しい。
# by noname77777 | 2005-04-16 17:14 | 日記・雑感
うちの母は統一教会系列の天地正教という宗派(※)に属する愛命堂という関連団体で、せっせと人を騙し、日々働いているようである。朝から晩まで家を空け、もちろん時には家にいることもあれば宗教を休むこともあるのだが、そういうことを除けば、実によく働いている。身を粉にして働くというのはこういうことを指すのであろうという働きぶりである。

愛命堂から帰ってきてからも、家で勧誘活動や宗教活動、献金を促す電話やお金の借り方の指導等を行う。うちにはひっきりなしに同僚たち(信者)からの電話が入るし、母からも電話している。(もちろん電話代もばかにならない) 母がかける電話は同僚へだけではない。ゲストと呼ばれる他人にも電話をかける。おそらく高いものを売りつけるか献金でもさせるつもりなのだろう。

うちも母によって勝手に献金させられていた。母が実印や印鑑証明、保険証等を家から持ち出し、勝手に金を借りて、それを「ハイ、ドウゾ」とばかり献金してくるのである。おかげで、僕が中学生や高校生のころは借金とりの電話に毎日おびえていた。もちろん返済するために生活費を極限まで減らすわけで、その頃のご飯といったらヒドイものだった。冷蔵庫には何も入っていなかった。いつもおなかを空かせていた。友達が食べ物を持っていると、ジーっと見てしまうほどである。今思えばすごく恥ずかしい。

とにかく、母は他の信者からお金の借り方などを入れ知恵されて、もう借りれないぐらい借りてるのに、あの手この手を使って借金してくるのであった。そして、新しい借金が発覚するたびに父は激怒し母と大喧嘩をするのであるが、不思議なことに父はそのことについて何ら対策を講じないのである。文句を言いつつ認めてしまうのである。そのくらい頭の弱い人たちなのである(僕も含めて)。全てが悪循環。どんどん転落していった。今も転落し続けているのだが・・・。

もちろんそんな母をずっと放任してきたわけではない。何回も大喧嘩して辞めさせようとしたし、団体の抱える矛盾を冷静に指摘し、辞めるよう促したこともあった。その結果、惨敗だった。もはや母は全く異なるパラダイムの中に存在している。何を言っても通じない。どんな行動も違う意味で解釈し、それを信じて疑わない。

そして現在では事実上の放任状態が続いている。僕だってできるなら辞めさせたい。でも、無理なのだ。最近では殺人衝動まである。もちろん母に対するものだ。体がワナワナふるえてしまうので、自分を落ち着かせるため布団をかぶってうずくまる。気持ちをコントロールできなくなるのでは、と恐怖に襲われる。もちろん殺したくなんかないし、コントロールしようと決心しているが、心のタガがいつはずれてしまうか、本当に怖い。自分が怖い。

だって考えてみてほしい。電話で金をだましとろうとする母親の声が聞こえてくるときの、僕の気持ちを。お金の借り方まで教えてお金を出すよう説得している母の声が聞こえてくるときの、僕の気持ちを。 しかも、母に「騙すのは良くない」と言ってみたところで、母にしてみれば騙すなんて全く身に覚えのないことで、むしろ僕の方がおかしい、と冷静に言ってくる始末。そりゃそうだ、母にしてみれば、相手からお金をださせることでその相手を救っていることになるのだから。母はそういうパラダイムの下で全力を尽くしているのだから。もう手に負えない。

何を言っても無駄。でも放っておいたら母は不幸な人を増やし続ける。

さ い あ く だ あ あ あ あ ヽ(`Д´)ノ

もしさぁ、僕の目の前に教祖の文鮮明をつれてきてくれたら、ナイフでうまいこと刺し殺してやるんだが・・・。  といいつつ、そんな度胸がオイラにあるのかはかなり疑問だ。。

(※)
宗派っつうか、統一協会はキリスト教なのに、天地正教っていう仏教系と同じ組織なんだ(藁)。統一協会でも壷などを売っているわけだけれど(うちには2つある)、キリスト教で壷っておかしいでしょ? うん。そのおかしさにみんなすぐ気づいてしまって、布教しずらい(売りつけづらい)。だから、信憑性を出すために、又、日本で高齢者をターゲットにするために、天地正教を作ったってわけ。←これ僕の推測。
僕の見たところでは天地正教の母体が統一教会なんじゃないかなぁ。おそらくね。

統一教会の正式名称は「世界基督教統一神霊協会」。教会ではなく、正式名称が協会なんだ。 この意味がわかるだろうか。 charch じゃなくて associationなんだ。 宗教なんて言っておきながらね。もうここまでくると馬鹿にされてる気分だ。

注:この記事を書いたあとの調べでわかったのだが、天地正教というのは既に世界基督教統一神霊協会に吸収されたとのこと。
# by noname77777 | 2005-04-16 14:43 | 日記・雑感

『七つの習慣』

最近になって『七つの習慣』を読み始めた。既読の方も多々おられるかと思うが、ざっと紹介しておく。この本は96年に日本語翻訳版が出版され、おおざっぱに言えばもうそろそろ10年経とうかというところである。だからそう新しい本でもないのだが、述べられていることもそう新しくはないかというと、必ずしもそうではない。

それはおそらく、この本が「成功とは何か」とか「成功へ至る道」を根源的な部分において考察&解説しているからだと思う。何かに対する根源的なアプローチは、だいたいどの時代どの地域においてもある程度の説得力を持つものだ。「いにしえより古く、常に新しい」・・そんな言葉がこの本には当てはまるかもしれない。

さて、そんなこんなの『七つの習慣』であるが、言わんとするところは次のようなことである。すなわち、「思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る。」という流れを着実に踏むことができて、目的地さえ正しければ、成功にたどり着ける、と。そして、このことを読者自身の価値観を出発点として(必要ならば価値観を変えながら)、どのような道筋で推し進めていけばいいのかについて、有効な示唆を与えつつ話は進んでいく。

とは言え、僕はまだ第一の習慣を読み終わったばかりで読破には至っていない。それなのにこんな偉そうな文章を書いているのである。くだらん駄文を書く暇があるなら早々に読み終えてしまえ、なんて言われそうだが、著者であるスティーブン・R・コヴィー氏もおっしゃるように、この本は読破しておしまいという類の本ではないようだ。だから、紹介される一つ一つの習慣を大事に実践しつつ、ゆっくりと時間をかけて読み進めていこうと決心している次第なのである。

なんて言うと、言い訳がましすぎるだろうか(笑)
まぁそんなこんなで、今後格好つけて唐突にこの本の文章を引用したりするかもしれない(*ノノ) 悪しからず。


7つの習慣―成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー ジェームス スキナー Stephen R. Covey 川西 茂 / キングベアー出版
スコア選択: ★★★★★
# by noname77777 | 2005-04-14 18:24 | 本・音楽